2017年3月27日月曜日

今更ながら朴槿恵大統領の弾劾の話

珍しい機械やガジェット見かけると仕組みがどうなって気になる私だが,これは一体どういう事なんだろうか?
崔順実ゲート事件が弾劾理由のように報道されているんだが,軍政時代の小国ならいざ知らず,罪刑法定主義よりも国民情緒法が優先とは言えないので,それ相応の罪の確定が弾劾には要求され形式を満たしている筈だ。つまり係争中の事は有罪では無いんで,確定した罪しか大統領の弾劾は問えないということ。
とは言え,韓国語も知らず,自分で調べられるほど詳しくはなく,新聞記事は通り一遍だし,嫌韓サイトはあてにならないんで,何年か経ったらそれの本でも読もうかなどと考えていた。んだがネット時代は素晴らしいな,某所で宣告文韓国語を翻訳サイトに掛ければ良いと教えてもらった。
宣告文では,諸々の疑惑について「断定できない・はっきりしない」としていて,まぁそこは当然。んで結局「隠蔽と捜査非協力が弾劾相応の違法行為」であるとして,それは民主主義の機能を脅かす事であって,具体的な条文は言及無しと!!!
治安維持法や共謀罪とか真っ青な凄い話で,これ今後の判例にも使えるんだよね,きっと。つまり権力者は今後これを使えばやりたい放題な気がするが。日本で言えば与野党党首の某小学校やら国籍について,外形的には捜査非協力と言えなくも無い。
裁判官8人だけで考えたのか事務局100人動員したのかは知らんが,苦労したんだろうねぇ,とは思う。かの国で役人はやりたくない。

2017年3月3日金曜日

室町の頃からでないと京都人で無いって本当?

京都の人は見栄張ってるかもしれない件。
京都人の地域カーストを書いた漫画が話題について,前に別所に記事投稿した。
ここで,京都の立地最強クラスで御所の裏手の天正の頃からのお宅が出ていた。室町の頃からでないと京都人扱いされないとか,古くからある自慢を耳にする事がある。一方,室町から残っていると称してるのは嘘が多くて大半が江戸以降だとかも聞く。で,本当の所どうなんだろうか。



 大林組の広報誌:季刊大林の最新号No.57の特集は「秀吉の普請」だった。この中で「秀吉のつくった京都」という記事があり,秀吉以前の京都がどのような状態だったかがうかがい知れる。
当初朱雀大路を中心に東京極大路と西京極大路に挟まれて平安京は都市計画された。西側の長安と呼ばれた街区は後に寂れ,東側の洛陽と呼ばれた街区のみとなって洛中洛外の言葉の元となった。室町時代に東側の街区の西端は朱雀大路からさらに東の大宮通りにまで後退し,さらに戦国時代には上京と下京にわかれ両者はただ道一本で結ばれるまでに縮小してしまっていた。当時の京都を描いた「洛中洛外図屏風」には上京・下京の市街地を取り囲むように塀・門があり,その外側に農地が広がるさまが描かれている。


 つまり,図の上京惣構・下京惣構の区画外には室町以前の家が残っている筈は無い!!!ということだ。京都をぐるりと囲む御土居堀を秀吉が作ったのが天正19年なんで,天正からを称されると本当か嘘かは分からない。その前の年号:元亀まで室町幕府があり,天正は信長の時代からである。元亀よりはそっちの方が語感が良いから天正からと称するのが好まれているのだけ,かもしれない。
平安京の条坊図をGoogle Mapに重ねて遊んでみなはれ
http://rekishi.maboroshi.biz/…/%e5%b9%b3%e5%ae%89%e4%ba%ac…/